2005~08年にタンザニアで仕事した後、2010~12年に計1年、調査のためにタンザニアに滞在しました。2014年10月からダルエスサラーム大学政治行政学部で教えるためにタンザニアに戻ってきました。darはダルエスサラーム、journalは日記という意味です。イギリス留学についてはブライトン・ジャーナル(brightonjournal.blogspot.com)をご覧ください。

Wednesday, August 24, 2011

震災のとき

リンディ・ムトワラからダルに戻ってきた日に、東日本で地震と津波が起こりました。ホームステイ先のお家に着いたら、ママ(ホストマザー)に日本が大変なことになっているわよ、と言われて、一緒にNHKワールド(海外向けのNHK)のニュースを見ました。映像を見ても日本のこととは思えませんでした。そのあと、東京の家族、東北に住んでいる親戚がみんな無事だということを確認して、とりあえず安心しました。でも、翌日から厳しい被災状況が明らかになって、インターネット上にいろいろな情報や言葉が流れるのを見ていたら、気分が落ち込んでいきました。

ホストファミリーやまわりのタンザニア人はみんな心から同情してくれました。ママは、私が落ち込んでいたら、私たちを日本の家族だと思ってね、と言ってくれましたし、ババ(ホストファザー)は災害マネジメントにも関係のある仕事をしていて、日本にも行ったことがあるので、状況を客観的に理解してくれて、心強かったです。でも一般的には、国内のニュースでは震災の扱いは小さく、日本はタンザニアから見るととても遠い国で「ひとごと」なのだと感じました。同じ海外でも、震災のニュースのみを流し続けていたCNNやBBCが見られる欧米とは違う状況です。でも、逆に日本にいたら、海外の災害が「ひとごと」であったりするので、タンザニアが悪いわけではありません。

また、日本の震災を途上国で経験したので、先進国と途上国のギャップをいつも以上に感じ、倫理的なジレンマにも直面しました。震災後にお会いした議員さんに状況を聞かれて、東京が計画停電になるかもしれないとお話しましたが、その議員さんの選挙区は田舎なので、そもそも電気のない家庭が多いのです。私自身も、ホームステイ先のお家で無計画な停電が1日2日と続いて、炭で火を起こしてご飯を作るのを手伝ったり、最後には水道の水が出なくなったり(電動ポンプが動かないので)という経験もしました。NHKが省エネでいつもより暗い夜の銀座の様子を映していましたが、通常のダルよりもずっと明るく見えました。

震災から一週間、日本人に会っていなかったせいか、いろいろな思いが吐き出されずにたまっていき、いつも行っていた近所のホテルのレストランで、突然どうしようもない孤独感におそわれて、涙が出てきました。生まれ育った日本も、一生懸命近づこうとしていたタンザニアも、どちらもとても遠く感じられたのです。そうしたら、レストランのマネージャーがとんで来て、「今レストランのサービスについてアンケートを行っているので、ご協力お願いします」と言われました。いやはや、そう来るかという感じですが、あとから考えると、たぶんサービスが悪くて泣いていると思われたんだと思います。確かにしばらく誰も注文を取りに来なくて、文句を言ったあとだったので。いや、それくらいでは泣きませんよ・・。

日本には優秀な人がたくさんいて、日本が安全で豊かな国だから、私は途上国でも元気でいられるのだと実感しました。その後は、タンザニア人の友人からアドバイスされたように、人間の力ではどうにもならないことについて考えすぎないように、それから、自分のレベルでできることについて考えるように努めました。逆に言うと、人間の力で変えられること、自分のレベルでできることについてはしっかり考えて行動しないといけないということですね。もうすぐ6ヶ月が経つので、改めて震災のときに考えたことをふりかえりたいと思います。