2005~08年にタンザニアで仕事した後、2010~12年に計1年、調査のためにタンザニアに滞在しました。2014年10月からダルエスサラーム大学政治行政学部で教えるためにタンザニアに戻ってきました。darはダルエスサラーム、journalは日記という意味です。イギリス留学についてはブライトン・ジャーナル(brightonjournal.blogspot.com)をご覧ください。

Sunday, June 19, 2011

ムトワラ

前回少し書きましたが、リンディに着いて数日後に南部のムトワラ(Mtwara)に行きました。議員さんがダルに戻る用事ができて、ムトワラの空港から飛行機でダルに戻ったためです。リンディにも空港があるのですが、今は使われていません。議員さんがいない間、ムトワラに住んでいる議員さんの友人に案内してもらって、議員さんのアシスタントと3人で観光しました。サファリ・ラジオ(Safari Radio)という地元のラジオ局を見学したり、海辺のホテルや建設中のレストランを見たり。街の発展の様子を垣間見ることができて、興味深かったです。

ムトワラから7kmくらい離れた港町ミキンダニ(Mikindani)にあるオールドボマ・ホテル(Old Boma Hotel)(右上の写真)も見に行きました。オールドボマは、1895年タンザニア(当時はタンガニーカ)がドイツの植民地だった頃、ドイツの南部総督府として建てられたものです。



Trade AidというイギリスのNGOが修復して、2001年からホテルとなっています。左上の写真はホテルの入り口にあったプレートです。英語でも解説されています。





ホテルの屋上からミキンダニ湾の入り江を見渡すことができます。植民地時代に戻ったような気分になりました。




リンディやムトワラが観光地として発展する可能性があるかどうか、議員さんやアシスタントとよく話をしました。私は外国人の視点で考えてみました。外国人旅行者は、タンザニアに来たらまずは国立公園でのサファリや、ザンジバルに行くので、沿岸部を南下することはあまりないように思います。ダルとリンディの間にある世界遺産のキルワ遺跡まで行くことはあるかもしれませんが、リンディ・ムトワラまではなかなか行かないと思います。一方、タンザニア人が国内旅行で行くことはあるかもしれません。私はここでしか見ることができない、食べることができない、など、何か人をひきつける特産品があったらいいんじゃないのかなぁと思いました。まずはダルからリンディまでの道路をすべて舗装しないと・・(これも外国人的視点なのかもしれませんが)。

Sunday, June 05, 2011

リンディ④

リンディで議員さんの活動に同行した話の続きです。前回も少し書いたように、議員さんは主に中学校の視察を行ったのですが、リンディから65キロ南東部に下ったムトワラに数日滞在したこともあり、車の移動時間(特に未舗装の道路)が長くて、視察先でも理解できないスワヒリ語を聞き続けていたので、私は途中からへとへとに疲れてしまいました。

そんななか、ムトワラからリンディへ戻る日に、チララという村にある職業訓練校に行きました。地理がよくわかりませんが、結構、奥地だったと思います。私は疲れていたので、車の中で休ませてもらおうかと思っていたのですが、出迎えてくださった先生方の中に、なんと日本人が!JICAの青年海外協力隊の方です。リンディのこんな奥地に日本人がいるとはびっくり。その方も、JICA関連以外で、日本人が来るとは思っておらず、びっくりされたそうです。

若くて爽やかな隊員のKさんは、数週間前にリンディに赴任されて、自動車整備を教えていらっしゃるとのこと。日本語でお話していたら、何だか疲れがとれて、とても励まされました。こんな奥地でお仕事されていてすごいです。隊員さんの活動現場を少しだけでも見れて良かったです。Kさん、お体に気をつけて、がんばってください!