2005~08年にタンザニアで仕事した後、2010~12年に計1年、調査のためにタンザニアに滞在しました。2014年10月からダルエスサラーム大学政治行政学部で教えるためにタンザニアに戻ってきました。darはダルエスサラーム、journalは日記という意味です。イギリス留学についてはブライトン・ジャーナル(brightonjournal.blogspot.com)をご覧ください。

Saturday, January 21, 2012

2ヶ月

タンザニア滞在は、残り2ヶ月弱となりました。昨年10月に2回目の調査のためにタンザニアに戻ってきて、先月一度「5月病」というか、スワヒリ語に疲れて、調査も行き詰って、タンザニアを離れたいと思いましたが、年末年始にザンジバルに行って息抜きをしたせいか、自分のペースが戻ってきました。前回の調査でも途中でケニアに行ってリフレッシュできたので、私の場合、現地調査は3ヶ月くらいで一度中断して、場所を変えて違うことをするのがよいのかもしれません。

現地調査は、長い場合も短い場合もあると思います。短期であれば2週間くらいで一気に関係者にインタビューして終わりという場合もあります。私は今回は1年間タンザニアの人たちと一緒に生活してきました。再びタンザニアに戻ってくることはあっても、今のような立場や環境ではなくて、今感じているようなことも感じないのかなと思うと、今の時間がとても貴重です。

タンザニアにいる間、私のタンザニアとの距離は近くなったり遠くなったりと揺れ続けています。ほとんどタンザニア人のような視点になることもあれば、私はタンザニア人とは根本的に違うと感じることもあります。自分がタンザニア人化していると感じるのは、日本人を含めた外国人に会ってカルチャーショックを受けるときなどです。そのあと、タンザニアの人たちと話すと何だかほっとします。

そうは言っても、私はタンザニアに合わせてきた結果として慣れたので、時々日本やイギリスにいるときのような自分に戻ることも精神面で大事です。それに、私がタンザニア人になりきったら、私がここにいる付加価値がなくなる、外国人だからこそできることをするべき、とも思います。タンザニア人に近づいたからこそわかる外国人だからできること、というのが目指しているところなのかもしれません。

Thursday, January 05, 2012

イリンガ

順番が逆になってしまいましたが、クリスマスについて。昨年のクリスマスはダルでホストファミリーと友達と過ごしましたが、2010年は南部の街イリンガでクリスマスを過ごしました。タンザニアの大使館の元同僚で、サセックス大学IDSでも一緒だったYちゃんと一緒に、ブライトンでスワヒリ語を教えてくれた友人Iのイリンガのお家を訪ねました。ダルからイリンガまでバスで片道8時間。滞在したのは数日だけでしたが、とても思い出深い旅です。Iは教会の牧師で、クリスマスの日には教会のミサに参加させてもらいました。他に、イリンガの街を見たり、教会の仕事(新しい牧師の叙任式など)に同行させてもらって、いくつか村を訪問したり、彼女のオフィス、大学、近くの中学校などを見に行きました。

Iの家はイリンガの街の少し郊外にあります。部屋がたくさんあって広いのですが、わりと新しい家なので電気が通っていませんでした。日本では、電気が無い家に住むことは考えにくいですが、タンザニアでの家の建築はゆっくりで、壁だけ建てて、まとまったお金ができてから、続きを建てるということもあったりして、電気がなくても住み始めるということもあります。

Iの家には姪、甥、その他親戚の親子も一緒に住んでいます。Iは一家の大黒柱なのでした。毎日夕食の後にお祈りの時間があって、ランプの光の下に家族が集まって、姪が聖書を朗読した後、みんなで賛美歌を歌います。それから、みんなで感謝とおやすみの握手をして、それぞれの部屋に戻っていきます。家族の大切な時間を共有してくれたことが有難いです。

Iには昨年のクリスマスの翌日に、ダルで再会することができました。今は教会の仕事をしながら、大学の夜間コースで、教師の資格を得るための勉強をしているとのこと。家族もみんな元気とのことで何よりです。

写真はIの家の外と、教会の外に村の人たちが集まっているところです。

Wednesday, January 04, 2012

ザンジバル

明けましておめでとうございます。2012年になりました。昨年は、世界も日本も私自身も予想外の出来事の多い年でした。今年はきっといい年になると信じています。

年末年始、ザンジバルに行ってきました。ジンバブエの日本大使館に勤めている友人がザンジバルに行くとのことで、私も調査が煮詰まっていて気分転換が必要だったので、急遽行くことを決定。ハイシーズンなので、ホテルが予約できないかと思いましたが、ザンジバルで旅行会社を経営しているHに数年ぶりに連絡して、ストーンタウンにあるホテルの部屋を取ってもらいました。運良く初めてザンジバルに来たときに泊まったダウ・パレス・ホテル(Dhow Palace Hotel)になりました。母と来たときにも泊まったので、思い出のあるホテルです。ザンジバルまでフェリーで行きましたが、居住者許可を持っているので、エコノミークラスは20,000シリング(約1000円)と安く、2時間弱で到着しました。バスでの長時間の移動をしてきたせいか、2時間の移動は短く感じられました。

ザンジバルは3年ぶりでしたが、ストーンタウンは以前とほとんど変わっていませんでした。変わったのは、ダイビングのライセンスを取ったダイーバーズ・ショップが無くなっていたことと、客引きが前より少なくなったことくらい。今回はスワヒリ語で会話しつつ、少しザンジバル人側から物を見ることができるようになって、私が以前なぜザンジバルのストーンタウンが好きだったのかがわかりました。ストーンタウンは、現地の人の住んでいる空間と、外国人観光客用のホテルやレストラン、カフェなどのある空間がとても近いのです。観光客にとっては、ザンジバルの人々の生活圏の雰囲気を楽しみつつ、居心地の良いホテルやビーチなども楽しめます。ザンジバル人は外国人が生活圏に入ってくるのに慣れていて、その点ではザンジバル人は、本土のタンザニア人より国際的なのではないかという気もします。でも、この2つの空間とても近いのですが、混ざり合っていないということもわかります。

日本人の友達とご飯を食べたり、数年ぶりに会ったHと語り合ったりして、よい気分転換になりました。あと2ヶ月間調査に集中して、3月にタンザニアを出る前にもう一度ザンジバルに行きたいと思っています。