2005~08年にタンザニアで仕事した後、2010~12年に計1年、調査のためにタンザニアに滞在しました。2014年10月からダルエスサラーム大学政治行政学部で教えるためにタンザニアに戻ってきました。darはダルエスサラーム、journalは日記という意味です。イギリス留学についてはブライトン・ジャーナル(brightonjournal.blogspot.com)をご覧ください。

Monday, August 14, 2006

ムソマ訪問⑤

ブティアマからムソマに戻り、ムソマの古着マーケットや、日用雑貨、携帯電話などのお店に寄った後、住宅地を歩いていたら、家の前で遊んでいる子どもたちから「イエロー」と何度か呼びかけられました。

白人や黒人については、日本語でも英語でも人種で表現することがありますが、アジア人(黄色人)を肌の色で表現することはあまりないのではないでしょうか。

ダルを歩いていると、「ジャパニ(日本人)」、「コニチワ」とか、「チナ(中国人)」、「ニーハオ」と声をかけられることが多々あり、それには慣れたのですが、生まれてこの方、イエローと呼ばれたことはなかったので驚きました。子どもたちの親が、家でアジア人をイエローと呼んでいるから、子どもたちも真似しているのでしょう、とKさん。自分がイエローと呼ばれたことで、初めて他人事ではなく自分のこととして、世界の人種問題について考えさせられました。

写真はニェレレ大統領の墓地にあった小屋です。

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