2005~08年にタンザニアで仕事した後、2010~12年に計1年、調査のためにタンザニアに滞在しました。2014年10月からダルエスサラーム大学政治行政学部で教えるためにタンザニアに戻ってきました。darはダルエスサラーム、journalは日記という意味です。イギリス留学についてはブライトン・ジャーナル(brightonjournal.blogspot.com)をご覧ください。

Saturday, April 30, 2011

リンディ②

3月に行ったリンディの話の続きです。リンディに到着した日には、議員さんのおばあちゃんの家の泊めていただきました。土壁でトタン屋根、台所とトイレが外にある田舎のお家です。水はバケツでくんできて、電気はソーラーパネルを使っていました。議員さんは昨年10月に初当選したばかりで、まだ選挙区にオフィスがなく、選挙期間中は、このおばあちゃんのお家を拠点にしていたそうです。家に選挙ポスターや看板がたくさんありました。

夜11時ごろに着いて、ムタマ(mtama、ソルガムという雑穀)と豆のご飯をいただきました。ござの上に大きなお皿を置いて、そこにご飯を広げて、みんなで一緒に手で食べるスタイルです。ムタマは初めて食べましたが、なかなか美味しかったです。

因みに、この議員さんの選挙区の隣には、ムタマという名前の選挙区があります。メンベ外務大臣の選挙区です。私が「ムタマ選挙区があるなら、他にもウガリ(トウモロコシの粉で作られたタンザニア人の主食)選挙区、ワリ(お米)選挙区もあるの?」と半分冗談で言ったら、笑われました。ウガリやワリという選挙区はありませんが、それ以来ときどき「Machikoはウガリ選挙区の議員だよね」と冗談を言われます。

Friday, April 29, 2011

イギリスへ

前回の投稿から間が空いてしまいましたが、一昨日イギリスのブライトンに戻ってきました。3月は日本の震災後にいろいろ考えて、ブログを書くことができず、4月は忙しくてインターネット環境もよくなかったので、書けませんでした。イギリスに戻ってきたので、これから続きを書いていきたいと思います。

イギリスは今日はロイヤル・ウェディングで祝日です。家の前の通りでもお祭りが行われていますが、私は、カルチャーショック中でついていけません・・。日本とイギリスとタンザニアの間を何度か移動しているだけなのに、どうして毎回カルチャーショックを受けるのでしょうか。英語もだいぶ忘れてしまっていて、ゆっくりしか話せません。そのかわり、今朝起きたときに、脳が勝手にスワヒリ語で考えていました。ずっとスワヒリ語に慣れようと努めてきたので、仕方ないのかもしれませんが。がんばれ、脳。

7ヶ月間のタンザニア滞在は充実していて、私にとってはアドベンチャーという感じでした。ダルのみならず、首都ドドマ、南部のリンディとムトワラ、中部のシンギダ、それから旅行でイリンガとバガモヨに行き、隣国ケニアのナイロビにも行きました。少しだけタンザニア人側から物事を見ることができるようになったと思います。きっとタンザニアに馴染んだ分だけ、今カルチャーショックを受けているのですね。いずれにしても、健康・安全面ともに大きな問題なく、1回目の現地調査を終えることができてよかったです。支えてくださった方々に心から感謝したいと思います。