2005~08年にタンザニアで仕事した後、2010~12年に計1年、調査のためにタンザニアに滞在しました。2014年10月からダルエスサラーム大学政治行政学部で教えるためにタンザニアに戻ってきました。darはダルエスサラーム、journalは日記という意味です。イギリス留学についてはブライトン・ジャーナル(brightonjournal.blogspot.com)をご覧ください。

Friday, January 28, 2011

電気と水

最近ダルでは計画停電が行われています。私の住んでいるエリアは比較的、停電が少なかったのですが、ここ数日頻繁になり、時間も長くなってきました。今も停電中です。うちにはジェネレーターがなく、パソコンが使えないので、近くのホテルに来て作業しています。

タンザニアの人たちは停電には慣れていますが、私も先月イリンガで泊めていただいたお家に電気がなかったこともあり、電気なしという状況にもだいぶ慣れてきました。私のノキアの携帯電話には懐中電灯がついているので、夜に停電になると、携帯電話を活用しています。

電気はなくても生活できますが、水がないと生活はできません。イギリスのガーディアン紙のウェブサイトに、タンザニア南部のリンディの村での水汲みについての写真が掲載されていました。写真の説明によると、この村では、1905年にマジ・マジの反乱(ドイツの植民地政策に対する反乱)が起こった際に、地中に作られた通路を掘って、水源を見つけたとのことです。女性たちがどのように水を取りに行って運んでいるかは写真をご覧ください。
Guardian (25 January 2011) 'Climate change in Tanzania: a search for water takes its toll'

Thursday, January 20, 2011

タンザニア人とケニア人

先週末、ダルに戻ってきました。あいかわらず蒸し暑いです。確かにこれだけ暑いと、ダルの人たちはナイロビの人たちほど素早く動くことはできない気がします(笑)。今回のナイロビ滞在は、タンザニアとケニアの比較の視点を得たことが大きな収穫でした。私がこれまでに滞在した先進国とタンザニアはあまりにも違いすぎて、タンザニアの人々に足りないことはなんだろうと考えるときに、先進国はあまり参考にならない気がしています。

タンザニアに来て3ヶ月間、スワヒリ語を練習しつつ、タンザニアの人々の価値観をそのまま理解したいと思ったので、足りないところやおかしなところもあまり気にかけていませんでした。 自分がタンザニア人化?したせいか、今回ナイロビに行って、違いを感じました。ケニア人が英語が流暢であることが大きな理由かもしれませんが、ケニア人の方がタンザニア人よりコミュニケーションがとりやすかったのです。ケニアは隣の国ですし、ケニア人ができることはタンザニア人もできるはず!ということで、先進国ではなく、ケニア人を基準にして、タンザニア人の足りないところを考えてみようと思っています。

Monday, January 10, 2011

ナイロビ

明けましておめでとうございます。2011年になりました。私にとっては日本を出て10年という節目の年です。2001年7月末にワシントンDCに移動し、国防省(ペンタゴン)の隣の駅のアパートに入居して数日後に同時多発テロが起こりました。アパートの屋上から煙の上るペンタゴンと、その向こうにワシントン・モニュメントを眺めました。あれから10年。

トラブル続きの12月は、イリンガから帰ってきたあとに風邪をひいて寝込み、そのまま年越しとなりました。イリンガ旅行は貴重な体験だったので、近々書きたいと思います。寝ながら、昨年、一昨年・・と過去10年分の年越しのことを順番にふりかえっていました。2003年だけよく思い出せませんでしたが。。お正月といっても特別なお祝いのないタンザニアですが、マンダジ(揚げドーナツ)を作ってソーダを飲んでいたホストファミリー。私は食欲がなく、マンダジは匂いだけでもだめでした。12時を過ぎたとき、台所の窓から向かいのホテルで花火が上がっているのが見えました。

今週月曜からケニアの首都ナイロビに来ています。ナイロビはダルに比べると涼しくて過ごしやすいです。夜はちょっと寒いくらい。サセックス大学の先生のお宅に泊めていただいていますが、その先生は休暇でいらっしゃらず、大きな家にひとり。久しぶりの一人の生活は、暑さからもトラブルからも離れて、自分自身のメンテナンスにちょうどいいです。ナイロビでも調査をしていますが、調査を手伝ってもらっているケニア人の方が優秀で、人数は少ないながらも重要人物にインタビューできていて順調です。土曜にダルに戻ります。